疾〜あなたがいたから〜
 異界の夜へ、ようこそ。
私はサーリン。過去を語る者。今宵語るのは遥か昔の物語。
まだ、故国があったころの、出会いの物語…

『疾〜あなたがいたから〜』




暗い、夜。永に風の吹き続ける世界は、夜もその風が凪ぐことは無い。
帰路へ就く人々の流れの中に、一人の幼い子供が居た。
流れの中で、彼だけがどこか孤立した雰囲気を持っていた。一対の耳飾が揺れている。
人の流れに逆らう事無く、だが自らのリズムを持って、彼は夕闇の下に流れる人の間を歩いていた。
背後から尾ける者の存在を、微塵も知ることも無く。
家――…と言えるのかどうかは分からない。唯住んでいるだけの場所に彼は帰ろうとしていた。
小さな路地に入る小さな角を曲がる。薄暗い路地。一気に人通りが少なくなる。
彼を除けば、2〜3人程しか居ない。
最近、恐喝が良く起こる。この世界の暗い道は元々そのようなことは多かったのだが、
この通りでは最近になって多発するようになった。
何度も、不良が道端に居ることを見たことがあるが、目を付けられることは無かった。
ふと。人気を感じて振り返る。それを認め、多少ならず驚く。
全く見たことのない、集団。5〜6人だろうか。
そう。大通りから彼を尾けていた者は、彼等だったのだ。
その顔や服装を見るからして、不良。否…そこらの不良ではない。
簡単に逃げることは不可能だと、彼の中の何かが告げていた。

(…勝手に、すればいい…)

そう思い、背中を向けた瞬間。
一気に彼らは背を向けた彼を捕まえた。スタンガンの様な…とにかく、高圧の電流で、彼は意識を手放した。


ふと目を開けると、全く見たことのない風景が広がっていた。
連れ去られた…というのだろうか。
とにかく、気を失っている間に見知らぬ地へ連れて行かれたのだ。
緩慢に身を起こすと、背後に居たらしい巨漢の男に手首を掴まれた。
その後は…記憶に無い。
唯、見知らぬ男たちが寄って来たところまでは覚えている。
体中を支配する痛みは、きっと受けた暴行の為だろう。
又、知らない場所に居た。少し、歩いてみる。何とか歩けるようだった。だが、遅い。
帰らなければ。とにかく、この場所から離れたかった。
理由は、分からなかった。


どれほど、歩いただろう。時間にしては長いが、実際の距離は、大したものではない。
そんなことを考え、ふと目線を上げた彼の極寒の海の様な瞳に映ったのは…
一人の女を囲むようにして、15人ほどの男が彼の前に立っている。
「逃げようとでも、思ったのか?」
女が、口を開く。放たれた言葉は、冷淡なものだった。
彼と同じ、鳶色の髪に蒼い瞳。そこまでは彼と同じものだった。だが、違う。
彼よりも長く伸ばした髪は、頭の高い位置で結ばれている。下ろせば、足元まで届きそうな長い髪。
服装は、瑠璃色の長いコートの様なものの下に、もっと深い瑠璃色のロングスカートを履いている。
足元まで届きそうな、長いスカート。
右袖をよく見てみると、<宇陰堕痢亜十七代目特攻隊長>という文字が瑠璃色のコートに白い色で書いてある。
瞳には、どこか憂いが含まれている気がした。だから瞳の色は彼の瞳の蒼よりも、もっと深い蒼。
外見の色に然程差は見つからないのだが、その瞳で見据えられたら薄寒くなるだろう。
心まで見透かされそうな、深い慈愛の籠った眼差しに。
深い眼差しに心奪われていると、女は笑った。
さっきまでの眼差しとは打って変わった、ぞっとする様な、冷たい笑み。
「勝手にしろ」
男たちに言い放ったのだろう。それだけ言うと、彼女は側にあった木に寄りかかってその蒼い瞳を閉じた。
それを見届けた瞬間、彼に凄まじい痛みが駆け抜けた。さっきとは比べ物にならない痛み。


絶望が、深くなることがある
自分を蔑む世界に
その苛立ちを他人にぶつけるしか無い自分が腹立たしい
解かっている
だが、時々それを見失ってしまう
自分の存在を見失う程、辛いことは無い
私は…それを知っている…


冷酷、という衣に身を包んだ乙女は、その蒼い瞳をうっすらと開ける。
自分と同じ様な人間が、何の罪も無い子供に危害を与えている。
誰が、あんなことをやれと言った…?
自分だ。
自分の所為だ。
全て、自分の所為なのだ。
蒼い瞳にはいつしか透明な涙が浮かんでいた。

(後悔するなら…初めからやらなければ良いのに…)

ふと、全ての音が闇に飲まれ、全てが静寂に包まれる。
目を上げると、もう仲間の男たちの姿は無く、闇に倒れているのは彼等が連れてきた子供。
自分が、好きにしていいと指示を下した。

(事後処理は、隊長任せか…)

ふ、と笑みが漏れる。
そして立ち上がり、倒れたままの彼にゆっくりと近づく。
とてもゆっくりと、だが歩調は乱さずに。
「もう、終わりか?」
意識がまだあること自体は判りきっている。その言葉を聴き、彼はゆっくりと瞳を開く。
「待て。未だ動くな。傷が深い」
こうしたのは誰だ、とでも言いたげな目でこちらを睨てくる少年に、笑いかける。
そして、傷の手当てを始める。
昔から、このような仕事には慣れている。虐められっ子だった弟の御陰で。
毎日の様に傷を作ってくる奴だった。
まだ治りきっていない傷口が開いてしまうことも、度々あった。
そんなことを思い出し、我知らず笑みが浮かぶ。
そして、包帯を巻こうとした彼女の手が、ふと止まった。
ゆっくりと顔を上げ、彼の顔を見てみる。瞳が、閉じている。眠っていた。
そういえば、彼の瞳は私と同じ蒼だったな…そんなことを思い出す。
同じ瞳の色…この世界では蒼い瞳を持つ者は異端だった。
大抵の者は、紫の瞳をしている。後は、紅や翡翠だ。
似ている、のか。と思いながら手当てをする。
5分程…経っただろうか。全ての手当てが終わった。

(さて…どうしたものか…)

ここで彼女は迷った。このまま放置してしまえば、この寒い夜を越せる筈も無い。
家に運ぶとしても、彼の家を彼女が知る筈も無い。
それに、今まで攫って来た者は、手当てまでが済んだ時、ふと周りを見ると防衛隊がいたりするものだ。だが。

(防衛隊が、居ない…?今までこんなこと無かった…)

そこまで考え、彼女はやっと気付いた。
彼が、孤児であることに。
この国では、親が全てだ。
就職などの面接があっても、相手は親。親の階級が全てなのだ。
だから、この世界で親の居ない子はロクな教育も受けることは出来ない。
彼女自身、両親を失って、この世界における親の威力を心から感じさせられたものだ。

(どうする…?孤児か…)

彼女は、とあることを思いついた。
ならば、私が育てよう、と。
立派な大人に育ててみよう、と。
'楓'の時は…駄目だったから。
彼女はその子供を家…否、住み家へと連れて行った。
目を覚ました彼が驚いたのは言わなくとも分かるだろう。
そして彼女…『疾』と名乗った。瑠璃色の疾。それが彼女の名。
もっとも、彼女を取り巻いていた者達は疾のことを『翼』と呼んでいた。『鳶の翼』。
そして、疾は彼に名を与えた。
≪風≫という名を。
風…この国に永久に存在し続けるもの。
そして、風は強靭であるように、彼にもそうなって欲しいという願いもあった。


風はやがて、この世界…《ウィンダリア》の軍隊に所属する一級の戦士となった。
そして、疾は…失踪した。
『街へ行ってくる。夕方までには帰ってくるから』と言い残し。
それは、世界が崩壊する丁度七日前。
どんなに手を尽くしても、疾が見つかることは無かった。
疾がいなくなり、風はどうしようもない喪失感に襲われた。
幼い頃、出会った女性は、いつしか自分の中のほぼ全てを支配するようになっていた。
遅かった。気付くのが。失ってから気付くのでは、遅すぎた。


あなたがいたから…ここまで生きてくることが出来たのに…


そう、心の中で繰り返す。
否、その言葉が繰り返される。
何度も、何度も。終わり無く、永遠に近い状態。
世界が崩壊するのは、近い。



次の過去を見てみましょう…
彼が軍に入ってから、故国を失うまでの長い間、何があったのでしょうか…?
全ては、いつか、お話しする時が来るでしょう…
『漣〜せかい まもりしものたち〜』
それまで、あなたにアンリミテッドの物語が響く様に…





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